【公演レポート】センチュリー豊中名曲シリーズVol.27「変心」
2023年10月20日
文筆家・評論家・音楽ファンなどそれぞれの視点から、主催公演を実際に鑑賞して記されたレポートをWEB上で共有するコーナー。センチュリー豊中名曲シリーズ今年度の第2回目となった公演「変心」のレポートが、音楽ライターの逢坂聖也さんから寄せられました。
―2023.9.16(土) 15:00開演 豊中市立文化芸術センター 大ホール
コンサートのハイライトはヴァイオリン協奏曲 ホ短調の第2楽章ではなかったか。コーダ近くで優美に繰り返されるソ・ド・ミ・レの旋律は小栗まち絵と延原武春という、世界に知られた2人の演奏家の共演を祝福するように響いた。それはまた2人の音楽的人生の豊かな実りを客席と分かち合った、稀有なひと時であったようにも思う。
センチュリー豊中名曲シリーズVol.27は9月16日15時開演。『変心』と題された今回は、ロマン派の作曲家メンデルスゾーンの3曲を採り上げる。指揮には、テレマン室内オーケストラを率いる延原武春を迎えた。コンサートの始まりは『フィンガルの洞窟』序曲から。荒磯に波が打ち寄せるような風景は、メンデルスゾーンが20歳で初めて訪れたスコットランド、ヘブリディーズ諸島の印象である。ヴィオラ、チェロ、ファゴットによって開始される北の海の情景。しかしそれは単なる音による絵画ではない。メンデルスゾーンの繊細な感性がつかみ取った広大な世界への憧憬とでもいったものだろうか。荒涼とした雰囲気で始まった曲は、時に喜びを湛え、またかすかな慰めも滲ませながら展開する。延原とセンチュリーの瑞々しい響きに、まず耳を奪われた。
2曲目に置かれたのがヴァイオリン協奏曲 ホ短調。憂愁を秘めたヴァイオリンの旋律に始まるこの作品は、ロマン派のヴァイオリン協奏曲の1つの規範となった傑作だ。光沢のあるスーツを着た延原が、青みを帯びた紫色のドレスの小栗を迎える。第1楽章、わずか2小節の導入部から曲はすでに激しい感情の起伏を伝えている。小栗のヴァイオリンが印象的な旋律を歌う。指揮棒、指揮台を用いない延原は、小栗の傍らでその音色を聴き取りつつ、練達の職人の手つきでセンチュリーの響きをつけていく。活きいきとした音楽は、今行われている2人の演奏家の精神の交歓さえも映し出し、目の覚めるような新鮮さで観客を包みこんでいったように思う。第2楽章は3部形式。ファゴットの響きの上にハ長調で現れるヴァイオリンの主題は、それ自体が1つの美しい歌のように響く。そこにはメンデルスゾーンが愛した、スコットランドの音楽の影響を聴くことも可能かもしれない。中間部では重音による技巧的な演奏が続く。
そして冒頭の瞬間が訪れる。ソ・ド・ミ・レ、ソ・ド・ミ・ソ。それはヴァイオリンとオーケストラが互いに微笑みを交わすような時間であり、小栗まち絵と延原武春の音楽の、金色の実りのような味わいを伝えるものであった。音楽はなおも続き、心地よい高揚感の中で全3楽章を終了。アンコールに小栗は、メンデルスゾーンが生涯尊敬してやまなかったJ.S.バッハの作品から、無伴奏ヴァイオリンソナタ 第3番より『Largo』を弾いた。その美しいステージ姿を記憶に留めた人も多かったに違いない。
休憩を挟んで交響曲第3番『スコットランド』が演奏された。演奏前には延原による曲の解説があり、第1楽章の冒頭16小節は『フィンガルの洞窟』を訪れた最初のスコットランド旅行の際に、すでに作曲者によって構想されていたことなどが語られた。完成にはそこからさらに12年半の時間を要し、『スコットランド』は彼の最後の交響曲となった。本日のテーマは『変心』。これに合わせていうなら、若い頃からのメンデルスゾーンの心の変化が現れた作品ではないかと思う。延原はユーモアを湛えた独特の語り口でそんな風に語った。第1楽章には『フィンガル』と同様、荒涼とした色彩が滲む。裕福ながらユダヤ人の家系に生まれたメンデルスゾーンの、それゆえに鬱屈した思いや解放への希求だろうか。第2楽章冒頭にはスコットランド民謡を思わせるクラリネットのソロが置かれている。光が差し込むような明るい響きが一瞬ホールを包んだ。第3楽章では優美なアダージョに葬送行進曲風の劇的な旋律が加わる。美しさの中に一抹の苦みが感じられる楽章である。そして勇壮とも言える第4楽章。木管の音色を次々と差しはさみながら曲は大きく盛り上がり、フィナーレを迎えた。作品への共感と愛情が、響きの隅々にまで感じられるような延原とセンチュリーの演奏だった。アンコールには再びJ.S.バッハ、管弦楽組曲第3番より第2曲『エール』が演奏された。多くの人に知られたG線上のアリアの旋律が温かくホールを満たした。
『変心』というテーマをもとに今回劇作家の藤井颯太郎が書き下ろした物語は、カフカの『変身』のパロディめいて、朝起きると自分が異形のもの-巨大な昆虫-に姿を変えていたマキオという主人公の境遇を綴っている。ただし姿を変えたのはマキオの身体ではなくて、心の方である。こうした着想を藤井氏がどこから得たのかは明らかではないが、プログラムノートには『フィンガルの洞窟』を聴いて藤井氏が感じたという視点の変化が興味深く綴られている。「はじめは洞窟の外から中を覗いている感じだったのが、物語を書き上げてみると、中から外の世界を覗いているように思えた」というものだ。創作には不可欠の、こうした柔らかな視点の在り方が『変心』という物語の発想の原点なのかもしれない。その柔らかさは時にとても不確かで、また扱いにくいものでもあるから、藤井氏が主人公のマキオに託したものは人生と作品を秤(はかり)にかけながら創作に勤しむ作家や音楽家の悲喜劇であるようにも思える。
『変心』はコンサート当日、ホワイエで劇団幻灯劇場の2人の役者により朗読が行われた。「声の展示」として豊中名曲シリーズの要素の1つだが、今回は大きく動きを伴い《朗読劇》とも呼べるほどのパフォーマンスに仕上がっていた。ホワイエの壁面には豊中市内で撮影された写真家・鈴木竜一朗の作品や、『変心』の物語から切り取られた言葉のコラージュが並び、コンサートの1日を彩った。
そして最後になるが豊中名曲シリーズVol.27ならではの実績として挙げておきたいのが、関連企画として実施された『メンデルスゾーン探訪』と題する延原武春のトークイベントである。聞き手に豊中市立文化芸術センター総合館長の小味渕彦之氏を迎え、延原は自らの演奏体験に照らしたメンデルスゾーンの魅力を独特の飾らない口調で語っている。中でも「メンデルスゾーンの解釈はバロックというもの、バッハというものをもう一度起こしなおすと見えてきます」と語るあたりはバロック音楽の演奏、普及に献身してきた延原の慧眼と言えるだろう。その反映は今回の演奏でも随所に見られたと思う。この日、客席には小栗まち絵の姿もあり、延原に促されて彼女がマイクで語る場面もあった。それは2人の演奏家が互いの敬意を伝えあい、共演を心待ちにする温かな交流の時間でもあった。この模様は、現在ホールのホームページ、YouTubeで配信されている。コンサートは終了したが、動画にはその魅力の片鱗のようなものが詰まっている。多くの音楽ファンに観てもらいたい動画であると思う。
逢坂聖也
音楽ライター。大学卒業後、情報誌『ぴあ』へ入社。映画を皮切りに各種記事を担当する。現在はフリーランス
としてクラシック音楽を中心に音楽誌や情報サイト、ホールの会報誌などへの執筆を行っている。豊中市在住。