【公演レポート】とよなかアーツプロジェクト リサーチ企画 新作上映会 小田香『GAMA』
2023年03月24日
文筆家・評論家・アートファンなどそれぞれの視点から、当館主催公演を実際に鑑賞して記されたレポートをWEB上で共有するコーナー。
今回は舞台作品や展覧会、パフォーマンスなど多分野で活躍するダンサー/アーティストの古川友紀さんから、1月に開催された「とよなかアーツプロジェクト リサーチ企画 新作上映会」のレポートが寄せられました。
―2023.1.27(金) 19:00開演 豊中市立文化芸術センター 小ホール
1月末のある夕方、私は豊中市立文化芸術センターに訪れた。センター最寄の阪急曽根駅を降りると、雨が降りはじめていた。伊丹空港に着陸する飛行機が頭上を通り過ぎたので、思わず空を見上げた。今日はここで、フィルムメーカーでアーティストの小田香さんの最新作の上映会がある。これは、センターが実施する「とよなかアーツプロジェクト」の「リサーチ企画」というプログラムの一環でなされるものだ。チラシには、「いかなる創造活動でも「リサーチ」は行われますが、本企画は(作品に結びつかないかもしれない)地域特有の事柄・記録を調べ、咀嚼するリサーチを、公開される作品と同様に、不可欠で重要なものと考えました」と書かれてある。創作プロセスへの誠実さと、未知の化学反応を迎え入れる冒険心が感じられて、どんな作品が生まれたのか興味が湧いた。
映像の舞台は沖縄。薄暗い鍾乳洞のなか、男性(松永光雄さん)がこちらに向かって語りかけている。彼は平和の語り部として、沖縄戦時下、防空壕となったいくつかの鍾乳洞(沖縄で鍾乳洞をガマと呼ぶ)で起きた出来事を伝え継ぐ活動をしている。あるガマでは、集団自決ではなく敵軍との対話によって生きることを選んだ人々の話を、また別のガマでは、避難してきた家族が飢えで乳呑み子の命を失う話を。その人は、言い淀みながら訥々とこちらに語りかける。その声が洞内に響く。照明の光は、彼の姿とその背後のゴツゴツした岩肌をあらわにしていて、それが一層、光の届かないガマの暗闇を際立たせている。だんだん、映像を見ている私もガマの内部にいるような気がして、じっと彼の声に耳を傾けた。語りのクライマックスで、彼は唐突に「それでは暗闇体験をします」とこちらに告げた。途端に洞内の照明が消され、暗転。数秒間の暗闇と無音が訪れた。これは亡き者を悼む沈黙のときなのだろうか。ガマの深部へと私の意識が潜り込んでゆくような感じがした。
映画『GAMA』は沖縄戦の記憶を伝える松永さんの活動を軸としながら、人間の時間軸を超えた自然の有り様もつぶさに捉えていた。鍾乳洞のゴツゴツした形は、サンゴ礁などの生物の遺骸の堆積から生成された石灰岩が、地殻変動で隆起し、さらに地下に滲み出た水滴に穿たれて生じたものだ。それは、人間が語りはじめる以前の太古の土地の記憶なのだ。この映画には、そんなガマの多層性を媒介する存在として、ダンサーの吉開菜央さんが演じる青い服の女、「影」が登場する。「影」は、松永さんがガマの岩肌を身をよじって移動するその後を、そっと動きのトレースをして辿ったり、離れたところで佇んでいたりする。言葉を発しないけれど、振る舞いによってこちらに語りかけているかのようだった。その姿は「何も言わないものほど、何かを感じてもらえる」という言葉⸺ガマに眠る遺骨を発掘し遺族の元へ届けるボランティアを生涯しつづけた女性の言葉⸺を私に想起させた。その女性は、松永さんがタクシー運転手をしていた頃にお客さんとして乗車してきた。二人は、彼女の目的地であるガマに向かったのだ。松永さんは、この出会いがきっかけとなり、自分も遺骨収集や平和の語り部の活動をするようになったのだと話していた。劇中、松永さんとボランティア仲間たちが、ガマの土をふるいにかけると、人の骨、鶏などの動物の骨、生活で使われた陶器のカケラなどが出てくる。沖縄戦の痕跡は今も地中に眠っているのだ。クローズアップで小さな骨がうつされている。その画面の端から「影」の手がゆっくりにゅっと伸びてきて、骨に触れた。触れることで、亡き人々の息遣いや体温が立ち上がってくるような感じがして、なまめかしかった。
映画の冒頭と終盤に、暗闇に切れ切れとした光が瞬き、何か小さくて硬いものがぶつかり合う音のする映像が出てくる。それは小石か、ビー玉か、水滴か……? 分かるようで分からない、知っているようで知らない、思い出せそうで思い出せない。もどかしい。映像を見ながら、私はいつの間にか自身の記憶をまさぐっていた。
後半は、ガマの暗闇とは対照的に、陽に照らされた地上の明るい光景がうつしだされる。白いサンゴ礁の砂浜、その波打ち際に腰掛けた「影」である吉開さんが、サンゴのカケラと戯れている。カケラを指の間から落としてカラカラいわせたり、カケラどうしをカチカチ打ちつけあったりして、無邪気に色々な音を立てている。ああ、あの音の正体はこれだったのか! 記憶のもつれがほどけて、気持ちが一転した。つぎの瞬間、皮膚を刺すような轟音が駆け抜けた。何度も、何度も。「影」であり吉開さんでもあるその人は、音のする空のほうを見やる。それは、まだ何の判断も下さない無垢な瞳だった。次のシーンでは、語り部を終えて帰路に着く松永さんのトラックが、軍用機の飛び立つ米軍基地のそばを通り抜けた。
木立でできた緑のトンネルを、「影」が光のほうへ向かって遠ざかってゆく。だんだん小さくなるその後ろ姿を眺めていると、ふと私は、この劇場(上映空間)にいる私たちは今、同じ光を見つめているのだなと思えてきた。太古の人類が洞穴で松明をかかげて影をうつしたように、映像そのもののもつ原初的な感覚に触れた気がした。
ラストシーンは画面いっぱいに広がる遠浅の海。ちゃらりとゆるい音を立てる波間に海藻がゆれている。遥か遠くで誰かが歩いているようだが、それはとても小さくて輪郭もおぼろげだ。様々なものが溶け合うような柔らかな光がそこにたゆたっていた。
上映後、小田さんや吉開さん、プロデューサーの杉原永純さんが登壇するトークがあり、そこで創作過程についての話を聞くことができた。
小田さんたち制作メンバーは、豊中を起点にリサーチをするなかで「豊中学校」の存在に行き当たった。これは、沖縄がアメリカの統治下にあった頃、コザ市(現・沖縄市)の職員が、豊中市に滞在して日本式の地方自治を学んだ研修のことをいう。両市の交流は「豊中学校」がはじまる前年の1964年に、コザ市が豊中に住む沖縄戦の戦没者遺族へ、霊石とハイビスカスの花を届けたことに端を発しているそうだ。両市の関係は今もなお兄弟都市として続いている。この話が、豊中に住まう人たちにどれほど知られたことなのかは私には分からないが、市役所にシーサーの置物が鎮座していたり、夏の「豊中まつり」で沖縄音楽が盛り上がったりするという話を聞くと、沖縄の存在が豊中の街に自然と溶け込んでいることがうかがえる。きっと小田さんは、そのような人々の潜在意識にリサーチのフィールドを広げてみたのだろう。
創作において、出会いをどう引き寄せるかも手腕の一つだと思う。下調べも必要だけれど、直感を聞き、何か分からないもののほうへ体を向け、適切なタイミングでそれに出会いにゆくこと。そうすることで、遠く離れたもの同士がイメージの論理(もしくは感覚の論理)で結ばれる。たとえそれが現実の一側面であったとしても。
戦後、沖縄から豊中へ届けられたという霊石。それは、沖縄戦で亡くなった方の遺骨の代わりであり、形見である。その小石が今どこにあるのかは分からないらしい。小田さんの映像世界は、暗闇の中をまさぐりながら、見えないもの、見えづらいものに光を当てている。何かを明らかにするためというよりも、必要な光量で照らすことによって、そのものの肌理をうつしだしているのかもしれない。この映像がフィルムで撮影されたのだと知って、なおさらそう思った。
トークでは、多数の観客から感想や質問があった。平和問題の観点から作品を見た市民や、小田さんの作品に詳しいシネフィルなど、世代も関心も異なる人々の声が会場に響いていた。そうした声を聞く場が生まれていたことも、この作品がもたらしてくれた恵みだった。
文・古川友紀
ダンサー/アーティスト。ダンスや演劇などのさまざまな舞台作品に出演。近年は、歩くという素朴な行為の中にある運動の持続と世界の受けとめ方に関心をもち、「歩 録」と題した展覧会やパフォーマンスをしている。